宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

未来予測

昔の「タカラ社の人生ゲーム」の画像がネットにありました。いかにも昭和中期っぽい絵柄の子供たちが描いてあり、1968年(今から53年前)発売の初期版のようです。内容を見てみると、

 

2032年 エアカーで空中ハイウェイを飛ばしてスピード違反、8万ドル払い1回休み。
2033年 家事を機械に任せて運動不足。2万ドル払う。全自動調理器を持っていればさらに2万ドル払う。
2034年 空中住宅に引っ越し。眺めに家族もご機嫌!車に乗っている人数×2万ドルもらう。
2035年 定期便ロケットで月の遊園地に行く。10万ドル払う。
2036年 都市間を走るチューブトレインで眺めも絶景。3万5千ドルもらう。

 

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昔の人生ゲームの一部(タカラ社)

だそうです。アポロ11号が月面に降り立ったのが1969年ですが、当時の米ソ宇宙開発競争の熱気と興奮や、「科学万能と考えられていた時代」の雰囲気をよく表しているのだろうと思います。バブルが弾けてしばらくするまでは、日本は明るい日本でした。


上記においては、家事ロボットや自動の調理器は部分的に実現しているし、空中住宅は都内の超高層マンションで、またチューブトレインはリニア新幹線の形で実現しています。あとはエアカーと月の遊園地へロケットで行くことが実現できていませんが、技術面や経済合理性の面で、今後もちょっと実現困難そうです。

 

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昔の交通関係の未来予想(出典不明)

 

では現代の未来予測はどうなっているのか?博報堂がまとめた未来予測で、イーロン・マスクなどの法螺吹きの発言を除外して宇宙関係でピックアップすると、

 

2040年 日本の有人月面基地が実現する。(科学技術政策研究所;NISTEP)
2041年 宇宙旅行が100万円以下で実現する。(科学技術政策研究所;NISTEP)
2050年 カーボンナノチューブを利用した宇宙エレベータが実現する(大林組
2066年 地球外の知的生命が、この年までに0.1%の確率で発見される(UCバークレーSETI研究所所長)

 

といったところです。夢があり、是非実現してほしいと思います。

 


また野村総研がまとめた未来年表を眺めていると、経済・産業面で、

 

2040年 労働力人口が6,195万人に減少、うち65歳以上が19%(労働政策研究・研修機構

 

とあります。

労働政策研究・研修機構のサイトに入り、中身を確認してみたところ、資料シリーズNo.209『労働力需給の推計―労働力需給モデル(2018年度版)による将来推計』の99ページ目、図表 4-24 性・年齢階級別労働力人口(単位:万人)の「成長実現・労働参加進展シナリオ」の2040年が出典でした。

 

65歳以上の労働力人口;1,174万人を総労働人口の6,195万人で割って、19%というわけです。

 

また65歳以上の労働力人口;1,174万人とありますが、これはどのくらいの割合の高齢者が働いていることになるのかを調べてみると、

 

65~74歳までの2040年の人口;1,681万人で割ると約70%
65~69歳までの2040年の人口;  907万人で割ると約130%

 

となります。

 

農業・漁業や自営業、医師・士業などは定年が無いので75歳以上になっても働けるし、病気その他で75歳未満でも働けない人がいたり、家計が豊かであれば働かなくても問題無かったりしますが、この2040年頃にはおおよそ75歳くらいまで働く(=75歳くらいに年金支給年齢が引き上げられる)時代になっているようです。そうでなければ年金の仕組みがもちません。

 


こういう時代になっていくと、勤め人の場合は自分のキャリアに対する考え方もおのずと変わっていくと思います。

 

いくら組織内で出世をしたところで、遅くとも還暦を過ぎには激務に頭脳・体力・気力がついて来なくなるため、後進に道を譲らざるをえなくなります。その後、10年以上も働くことになりますが、同じ企業・団体で働く場合、ほとんどは若い人に交じって一兵卒として不本意ながらジジイ・ババア扱いされて働くことになるでしょう。今後ますます日本の企業・団体の体力が無くなっていって、特別な配慮などしていられないからです。


年を取った元管理職、特に国内で管理ばかりやってきた人は、ほとんどが企業・団体にとって要らない人になり、スキルが無く転職も困難、業績悪化で整理解雇もあり、変なプライドを持ち上司風を吹かせて長年偉そうにしていた武器となるスキルを持たない人ほど大変な時代になりそうです。

 

今後日本の雇用慣習がどう変化してくのかにもよりますが、管理職は今後若い人からますます敬遠され、独立したり実務スキルを高めてキャリアを磨いていくことを選ぶ人が増える時代になるのは確かなのだろうと思います。

 

食の保守性

仕事帰りにスーパーに寄ると、東北菓子フェアというのをやっていました。3.11を前に、東北地方の物産を販売して被災地を応援しようというのが趣旨の半分、残りの半分は単純に商売といったところでしょう。

 

ほうほうと見て回っていると、かもめの玉子萩の月南部せんべいなどといった有名どころに交じって、「味噌バターカレー牛乳どらやき」なるものが置いてあり、思わず立ち止まりました。税込みで1個200円ほど、2012年ふるさと食品コンクール知事賞と謳ってあります。製造者は青森市の(有)松栄堂さん。

 

これは一体どんな味なのか???想像がつかん。食べてみるしかない。ということで、買ってきました。

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味噌バターカレー牛乳どら焼き

個装を開けました。見た目は普通のどらやきです。口に運ぶとき、カレーのスパイスの香りがほんのりとします。期待が膨らみます。一口食べてみます。甘味、カレーの香りと味、塩味、ほんのり味噌味、クリームの味が同時に来ます。私の脳が何と表現して良いのか戸惑っています。「悲喜こもごも」みたいなものでしょうか。不思議な味で、大変結構でした。

 


そうそう、不思議な味といえば海外です。仕事で海外へ出たときは、私は土地の料理を好んで食べます。タイの屋台などは衛生状態もよろしくなく、その辺のきったない水で皿を洗っていたりするのですが、構わずにいたためかピロリ菌をもらってしまいました。

 

胃がしくしくキリキリ痛むようになって受診、除菌してもらったのですが、酷い胃潰瘍痕が残りました。その後の定期健康診断ではレントゲンに必ず映るので、度々要精密検査と判断されて胃カメラを呑むはめに。ちなみにA型肝炎はもらいませんでした。


タイで私がどうしても受け付けなかったのは、昆虫食。ウイークエンドマーケットなどで、タガメ、サソリ、コオロギ、芋虫(幼虫)などが調理済みで売られているのですが、どうにも・・・。そのままの姿をしているのです。とはいえ、タイ料理は私のお気に入りになり、海外の物産をいろいろと扱っている業務スーパーによく行くようになりました。

 


仕事仲間を見ていると、食についての保守性は、本当に人それぞれです。海外の食事をどうしても受け付けなくて、ゲッソリと痩せて帰国する人もいれば、私のような人もいます。人間の進化の過程を考えると、飢饉にあっても同じものしか食べられないと生命の危機になるし、いつも好き好んでゲテモノを食べていても寄生虫や食中毒などでこれまた生命の危機になります。そこで両方の遺伝子が残って生物としての多様性を確保、ある人は強く弱く、ある人は弱く強く発現するということなのかもしれません。

 

私が仏教徒でない理由

私がちょくちょく読ませてもらっているサイトで、米国人が書いた仏教に関する書籍を動画で紹介していました。

 

書籍のタイトルは「Why I Am Not a Buddhist」で、直訳すると「私が仏教徒でない理由」。著者はEvan Thompson という人です。

 

Evanの父は1973年、ニューヨーク州Lindisfarne Association という、宗教者・哲学者・科学者・探究者などが集まって共同生活を送り、より良い社会を作る研究をするコミュニティーを設立しており、Evanはそこでhome-schooled(自分の家での教育)を受けて育っています。

 

宗教者、哲学者、科学者、探究者に囲まれたコミュニティーで自家教育で育つというのは、かなり異質な感じがしますが、いまだにアーミッシュが20万人以上居ると言われる土地柄なので、北米ではそこまで奇異というわけでもないのかもしれません。日本にもヤマギシ会(宗教ではないが、理念は宗教的)がありますが、今は1500人ほどだそうです。こちらの方は昔から何かと物議を醸している団体さんです。

 

さて Lindisfarne Association で育ったEvanですが、8歳にして父から渡された釈尊の伝記を読んでいたく感銘を受けたそうです。そして16歳で大学に入学、アジア哲学と西洋哲学を学び、最初に書いた論文が、京都大学西谷啓治氏と有名な哲学者のハイデガーについてのものだったとのこと。

 

Evanは博士課程を終えた後、認知科学(脳の働きをfMRIなどの装置を使って可視化したり、生理計測や計算機シミュレーションを援用したりして、知的な仕組みがどのように働くのかを探る学問)を学び、その後 Mind and Life Institute( 科学と瞑想状態の関わりを探究して人間の精神活動をより深く理解し、世界に前向きな変革をもたらそうと研究する機関 )で働くようになります。


そのEvanが2020年に米国で出版したのが先に挙げた「Why I Am Not a Buddhist」であり、私がちょくちょく読ませてもらっているサイトでは、

・仏教瞑想を実践している人

・瞑想、科学、宗教、哲学に関心が高い人

・仏教の書籍や法話などを積極的に取り入れている人

に対してお奨めしています。

 

興味惹かれる内容のようなのですが、出版後1年経っても邦訳は出ていません。米国で出版されたものや電子書籍はアマゾンで買えるのでそれも選択肢ですが、宗教・哲学・科学の用語を含めたある程度の英語力がないと骨が折れると思います。サイトの管理人さんたちが、動画で日本語で解説しているので、そちらの方が簡便でしょう。(但しある程度は色眼鏡を通したものになります)


この「Why I Am Not a Buddhist」、タイトル通り仏教を一部否定するものです。それにも拘らず動画をいくつも作って解説するのは、このサイトの管理人たるお坊さんたちの所属が曹洞宗禅宗の一つ)であることも大きいと思います。

 

昔、臨済宗禅宗の一つ)の松原泰道さんが、ニューエイジの天下伺朗さんと対談して、「世の中がこれほど変化しているのに、日本の仏教界は旧態依然として大昔に祖師(=開祖)の言ったことを出してきて語るのみ。レンジでチンする仏教ではいかんと思うのです。」という旨を語っていたのを思い出します。

 

公案を使う臨済宗と、ひたすら坐禅を組む曹洞宗という違いはありますが、不立文字・教外別伝を掲げ、証明が出来ない輪廻や業などの形而上のことには関心を持たず瞑想する禅宗は、科学との相性が良いのです。

 

ちなみに「Why I Am Not a Buddhist」の解説動画本編は有料になっています。(10回あり。各1時間程度。各百円) 無料公開すると著作権などの絡みで色々と面倒なことが起こるようです。浄土真宗を称するS会のネット通信講座(初級、中級、上級あり)だと中級コースで17万円(入会金を含む)するので、えらい違いです。

 

 

茹でガエル

昨年12月、2030年代半ばには日本で電気自動車以外の自動車の販売が禁止になる等の報道が全国を駆け巡りました。これは10月に菅首相が「国内の温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにする」という、いわゆる「カーボンニュートラル宣言」を受けて経済産業省を中心に議論されていたものの一部がメディアに漏れたものだそうです。

 

これは正確にはエンジンのみの車が販売できなくなるというもので、ハイブリッド車はOKです。ノルウェーは2025年までにガソリン・ディーゼル車の販売が禁止となり、英国に至っては2035年にはハイブリッド車さえも販売禁止になることから、それらの国と比べると、日本の規制は緩いと言えます。造船や家電が凋落したいま、日本の強みであるエンジンの技術だけは何らかの形で残したいものです。

 

 

世界がなぜこんなに性急に自動車の電動化に向かっているかというと、地球温暖化の元凶とされている二酸化炭素を、自動車のエンジンが盛んに排出するからとされます。各国政府や環境NGOの御用学者達が二酸化炭素による温暖化効果が暴走して大変なことになるぞと盛んに煽っており、各国のメディアも騒いています。

 

一方、地球温暖化の要因の大半は水蒸気由来であり、二酸化炭素由来は約20%に過ぎないことや、氷河期と間氷期のサイクルなどを挙げて、二酸化炭素悪者説を否定する学者も少なくありません。また地球温暖化で氷が融けているのは南極半島付近だけであり内部はむしろ寒冷化しているという報告もあるのに、それを無視してあたかも南極の陸氷が全体的に融けているかのような報道がまことしやかに流れたりします。

 

またそもそも問題のない大気中の許容二酸化炭素濃度はどれだけなのでしょうか?もう危険域の9割まで来ているのでしょうか?まだ1割なのでしょうか?それを明確にせずして濃度が上昇した上昇したと騒いでも本来何の意味もありませんが、その問いに対しては、私はもちろん、誰も答えられません。それこそ絶対神でもない限り。

 

だいたい、演繹によらない「科学的根拠」などというものは、あっという間にひっくり返されることがあるものです。2020年の今頃、新型コロナが2020年夏~秋には終息するなどと高言していた「専門家の先生」はどこへ行ったのでしょうか。

 

これらの状況、絶対に正しい真実や未来を語れる人はおらず、いうなれば色々な宗教やスピリチュアルが、行ったことも無い死後の世界を、それぞれ絶対の自信を持って説いているようなものでしょう。ただの人は信じたい学説を信じるしかありません。

 

 

しかしなぜ各国政府や有識者は環境NGOの言うことを支持しているのでしょうか?なぜグレタ・トゥーンベリさんが世界的に注目され、活躍できるのでしょうか?

 

シーシェパードのような海洋環境保護活動のふりをしたゴロツキ集団は論外ですが、環境NGOとは基本的にはイデオロギーで頭がいっぱい、結論を盲信してそれにもっともらしく、時に強引に理屈を付けていく人たちなのに?(口だけの「意識高い系」とは違って「行動が伴う」点で偉いと思うし、考え方もマトモで尊敬できる人も居ます。)

 

 

これは地球温暖化は表の理由で、実際のところは各国政府や有識者が「化石燃料が枯渇する前に循環型の社会に移行すること」をより推進させたいと考えているからなのだろうと思います。

 

地球温暖化危機の絶対的な根拠はありませんが、化石燃料の枯渇の方は、昔からあと20~30年で石油が無くなると言いながら、採掘技術の進歩で予想枯渇時期が後ろに後ろにずれていっているものの、将棋でいうと確実に「詰んでしまっている」からです。

 

無策だと遠からず過酷な未来が待っていますが、大衆は得てして「茹でガエル」になる道を選ぶので、地球温暖化で大変なことになるぞ!と脅す環境NGOに乗っかっておくのが得策ということなのでしょう。

開腹

かかりつけ医へ行ってきました。成人病の定期通院です。

 

医院では、行くたびにコロナ対策が厳重になってきています。重症者が増え続け、病床数もピンチになり、高齢者が神経を尖らせていることに対応しているのでしょう。

 

先生をはじめ、ナースの皆さんも感染リスクやご家族にうつしてしまうリスクなどと向き合いながら仕事をしているわけで、有難いことです。

 

いや、そもそも医学とその土台となる科学が有難い。私は20年ほど前に虫垂炎になって手術しましたが、徳川時代であれば絶対に助かりません。盲腸が破れて腹膜炎になって、のたうち回りながら短い人生を終えることになります。


ところでその20年ほど前の虫垂炎ですが、腰に麻酔注射をして開腹手術しました。執刀医の先生はまず、私の腹をメスでザクザク切りながら、「どうですか?まだ痛いですか?」と麻酔の効きを確認してきます。「いっ・・・、痛いですっ・・・」と息も絶え絶えに答えると麻酔医の先生が麻酔薬を追加してくれたのですが、何度かそのやりとりを繰り返すうちに、「もうこれ以上打てません」と言われてしまいました。


限界量まで打ったはずなのに気が遠くなるような痛さで、のたうち回るわけにもいかず、涙目でひたすら耐えたのですが、もしかしたら麻酔の注射針が「硬膜」の近くにきちんと入っていなかったので、あまり効かなかったのかもしれません。(硬膜外麻酔)

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脊髄への麻酔

硬膜外麻酔といえば、何年か前に無痛分娩で出産していた妊婦さんが呼吸停止して亡くなった事故がありました。事故の原因は「注射針が硬膜を突き破って脊髄に達し、麻酔薬が脊髄に直接作用したので、硬膜外の場合よりも10~20倍も効いてしまい、全脊髄が麻痺し呼吸停止したため」であり、いい加減な病院で麻酔医がおらず、執刀医もいい加減な人だったようです。

 

それはともかく、この手術で2つのことを思いました。

 

1つめは、人の体は切られると、こんなにも痛みがあるのだということ。武市半平太などは「三」の漢数字を書いて切腹して果てていますが、私にはとても無理です。刃を腹に当てた状態で介錯してもらうしかありません。

 

2つめは、出産する妊婦さんの偉大さ。出産は相当な痛みだとはよく聞きます。私の手術以上なのでしょう。それに私の手術はせいぜい2~3時間くらい(盲腸が破れていて時間が掛かった)だったと思うので、わが子のためにその何倍も耐える妊婦さん偉い!です。

 

 

しんどい手術でしたがひとつラッキーだったのは、自分の腸を見ることができたこと。盲腸が破れて膿があったので、先生は手術中に何度も腸を上に引っ張り出して中を清掃しており、盲腸を切り離すときも思い切り上に持ち上げてカットしているところが見えました。切り取った盲腸も見せてもらいました。自分の腸を見るなど、普通に生活している場合はありえません。


自分の腸を見て何がおもしろいのか?それは私が見たがり知りたがりだからで、ただそれだけのことです。

人は活かして使うもの

休職明けの人が部下になることになりました。詳しい話はまだ聞けていませんが、数年前にパワハラで精神を病んでしまい、しまいに休職に至ったようです。

 

今では劇的に改善されましたが、私の職場は数年前までは職務に対する要求と出来ないときの追及が過大で、メンタルがあまり強くない人がバタバタと斃れる職場でした。10年以上前だと、「お前、まだ居たのか?(=まだ辞めないのか?)」、「給料泥棒!」、「カス、死ね!」などという、今ではアウトなワードを役員が率先して使っていました。

 

私が転職前に働いていた職場も似たようなもので、物理的に到底捌ききれない仕事を与えて「納期は過ぎたけど?」、「一日は24時間あるよな?」などと言って働かせていたものでした。連日早朝から深夜まで仕事をしていたため、そのときはまだ若かったけれども体を壊しかけました。まあ、昔はこんな職場はザラにあったものですが。

 

納期に追われ、上司や関係部署から叱咤され、同僚は皆それぞれに追い込まれているため支援も期待できず、精神的に追い込まれた状態で仕事をするのは、なかなか辛いものがあります。私が真面目で従順な性格だったら、とっくに潰れていたと思います。

 

 


今度部下になる休職明けの人は、年齢は一回りほど年下で、妻子が居ます。ご家族も心配していることだろうと思うので、家族一緒にどこかのファミレスにでも行きたいところなのですが、新型コロナのためそれも出来ません。

 

30年ほど前に読んだ山岡荘八原作・横山光輝作画の「徳川家康」で、「人は活かして使うもの」という家康のセリフがあったように思います。彼がこれから活き活きと働けるように環境を調えることが管理職としての私の仕事であるし、彼が活き活きと働くことは私を含む職場の皆にとっても望ましく、喜ばしいことです。

 

どこまで出来るかは分かりませんが、出来るだけのことはしたいと考えています。

7割やった感

人間ある程度の年齢になると、自分はあと何年生きるのだろう?と、ふと思うもので、見聞きするところによると、それは大体50歳を過ぎたあたりのようです。私の場合はこんな人間なので、もっと早かったですが。

 

今際の際に「自分の人生、悪くなかったな」と思いながら逝けるように有意義に生きようとは常々思っています。

 

そういえば昔、「死ぬまでにしたい10のこと」という映画がありました。洋画で、日本でもかなり話題になったことを覚えています。どんな映画だっただろうか?と調べてみました。

 

公開は2003年、物語の舞台はバンクーバー,カナダ。余命2ヵ月と宣告された23歳の女性アンが、「死ぬまでにしたいことのリスト」を作り、余命を秘密にしたままリストに挙げた項目を一つ一つ実行し、悔いが残らないようにと残りの人生を生きたというストーリーです。

 

原題は「My life without me」で、直訳すると「私を除外した私の人生」となります。ナニソレ?ですが、これは「My life without true me」、つまり「本当の私を生きていなかった私の人生」になるのだろうと思います。


作中で主人公は、邦題の「死ぬまでにしたい10のこと」に挙げられているように以下の10のリストを作成し、実行していきます。

 

1)娘たちに毎日愛していると言う
2)娘たちの気に入る新しいママを見つける
3)娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
4)家族とビーチに行く
5)好きなだけお酒と煙草を楽しむ
6)思っていることを話す
7)夫以外の男の人と付き合ってみる
8)誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する
9)頬の感触と好きな曲だけしか覚えていない刑務所のパパに会いに行く
10)爪とヘアスタイルを変える

 

理解できるものが多いですが、そういうものかと思うものもあります。文化の違いや性差なのでしょう。


ここで自分だったら、どんなリストを作るだろうか?と考えてみました。色々とイベントごとの多い半生だったので、自分の中では「やりたいことを7割やった感」があって、死ぬまでに是非やってみたい事は、あまり多く思い浮かびません。それよりも今は成り行きを楽しみたいような?

 

普通に生きて普通に死ぬと本人が思っている人は、おそらく「やりたいことの半分もやれなかった感」の中で臨終となるだろうと思うので、わが身を振り返ると結構苦労はしたけれど、今のところは幸せな人生を生きたことになるのだろうなと思います。まあ、ただの主観なんですが。