宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

物故者が増える年代

高校の時の同級生から連絡があり、同窓会があるけど、参加しない?とのことでした。そういえば随分前に案内と申し込みの往復ハガキが来ていましたが、忘れてしまっていました。

某ホテルで開催され、会費1万円。ショービズ業界で成功した先輩の講演会もあります。生憎開催日当日は仕事があって行けない旨を伝えました。

いまの私の年代だと、同窓会ではいきおい仕事の話となり、肩書自慢やら出世自慢が始まるもので、立身した人たちが話題の中心となります。件の同級生は大学教授です。一流企業の役員になっている人も居ますが、それは凄まじい仕事ぶりでした。

しかしお互い定年を過ぎると、仕事や立身の話はほとんど無くなり、他愛もない昔話や健康の話になるのが定番なのだそうです。

私は老け込むにはまだ早いですが、ぼちぼち物故者も出てくる年代。私の同級生には突然死する人が昔から何故か多いので、なるべくみんな生きているうちに参加しないと•••とか言って今生きている人の中で自分が一番早く逝ったりして。

その時はその時で仕方ないので、臨終のときに微笑って、「マイライフ、そんな悪くもなかったな」と心から思いたい。それを念頭に日々生活しています。

あの世があるのか無いのか、輪廻があるのか無いのか、死んでみなければ分かりません。少なくとも今の私には。S会などで、死後どうなるかばかり気にしてそれに振り回され、「今」を台無しにしながら生きている人を見るにつけて思うことがあります。

それは「妙好人」のように漠然と、かつ疑いなく救いを信じて感謝しながら生きるか、あるいは死後がどうの輪廻がどうのと証明しようが無いこと対しては不可知論を貫いて、四念処によって苦を減らしつつ生に感謝しながら生きるのが、私のような普通の人が普通にこの世で生きるための、無理がない自然な在り方なのではないかということです。