宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

アドラー心理学

昔、インターネットの掲示板でのこと。

 

yugetoyuto.hatenablog.com

 

ここのカテゴリーマスターが推していたのが、アドラー心理学でした。興味を持った私は書店を訪れましたが、一般向けの良書が見当たりません。やむなく分厚い専門書を買って読んでみました。

 

その頃カテゴリーマスターとリアルでお会いする機会があったのですが、専門書を買って読み始めたことを伝えると、とても喜んでおられました。もう20年以上前のことです。

 

その専門書ですが、序盤の方は割とサクサク読めました。しかし段々と専門用語が多くなったり、難しい言い回しが増えてきて、半分ほど読んだところでギブアップしました。頭の良い人なら難なく読めるのでしょうが、ノータリンで読解力に乏しい私には荷が重かったのでした。

 

アドラー心理学についてはずっと気になっていたので、後にベストセラーになる「嫌われる勇気」を書店で見かけたときは思わず手に取って序盤に目を通し、直ちに購入しました。6年くらい前のことです。

 

アドラー心理学では、

・人間の悩みは、元をただせば全てが対人関係の悩みであること。

 

・人は劣等感から来る主観的な思い込みによって、自分でも気づかないうちに自分を規定し自縄自縛になっているものであること。

 

・承認欲求を否定することが、自分の人生を生きる上で非常に重要であること。

 

・大小様々なトラブルや問題について、誰が最終的にその結末を引き受けることになるのかを見定めて、「身内を含む他者の課題」と「自分自身の課題」にキッチリ分離したうえで、対応することが肝要であること。

 

・「共同体感覚」を大切にすること。

 

などを説いていますが、ほとんどがいちいち納得・共感できるものです。例外として私が「ちょっと違うかな?」と思うのは、「承認欲求を否定する」でしょうか。承認欲求は、群れを作る生物として進化してきた人類にとっては本能とも言えます。否定はないでしょうと。

 

一人の人間として認めてほしい。好きな異性から好かれたい。友情で人とつながりたい。一人前の職業人として認められたい(だから努力をする)・・・・・

 

何が問題なのでしょうか?

 

問題は、「愛する人から常時愛していると言ってほしい」、「愛する人に常時自分を見ていてほしい」、「自分が友情を感じているから、相手も友情を感じていないと許せない」、「(現実は半人前なのに)これだけ努力している(つもりだ)から、一人前の職業人として認められないとおかしい」などといった、「独り善がりの承認欲求」だろうと思います。

 

承認欲求自体に良いも悪いも無く、そこに執着するかどうか、自分の心に生起している承認欲求がどんなものかを正しく認識できるかの問題なのでは?と思います。