宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

思いつくままに

先日台風9号と10号が同時に日本列島に接近してきていましたが、そういえば接近した台風同士が相互作用を起こす「藤原の効果」とかいう、平安の昔の歌詠みみたいな現象があったような?と思って調べてみたところ、2014年から「使用を控える気象用語」になって、使われなくなっていました。

 

使用を控える気象用語になった理由は、同時に発生している気圧の谷、高気圧、偏西風などを含めたそれぞれの相互作用の程度を明確に示せないからとのこと。なるほど、と納得しました。曖昧過ぎてどのようにも解釈しうるものを、仮にもサイエンスである気象予測で論じるのは不適切です。

 

再現性もなく証明もできず数値で表すこともできず、自分でこうだと決めて信じるだけとなると、もはやそれは宗教と似たようなものになります。科学と宗教は相容れません。

 

ところで「幸〇の科学」という新興宗教団体があります。臆面も無く科学を前面に出していますが、その理由は「抹香くさい宗教や、胡散臭い絶対神・スピリチュアルは嫌だけど宗教的・精神世界的なものには惹かれる人たち」を取り込むためです。あの馬鹿馬鹿しい降霊インタビューをやらなければ、もっと釣れるのでは?

 

また「幸〇の科学」の教団施設の多くが、大きな病院の傍に建てられています。病苦で信仰の対象を求めざるを得なくなった無信心者も取り込んであの世へ持って行けない金を搾り取ろうとするとみるのが当然でしょう。ここまでえげつないと、むしろ小〇圭さんのような肚の座った野心家の天晴さみたいなものを感じます。

 

小〇圭さん・・・あの肚の座り方、頭の良さ、細心さ、男前さ、女たらし、将来ビジョン、逃げ・・・どこか明治の元勲;木戸孝允のようだと思いました。