宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

ディープラーニングの思考

AIの学習方法は、ディープラーニングと呼ばれます。脳のニューロンネットワークを模して開発されたもので、多層のニューラルネットワークがポイントであり、大量のデータを各層で自動で学習していくそうです。AIの進化は目覚ましく、現在では用途は顔の認証や自動運転など広い範囲に及びます。

このディープラーニング、仕組みは明瞭であるものの、「思考の過程」などは分からず、ブラックボックスの部分が多いといいます。特に研究者は気味が悪いと言います。一言で言うと、「何を考えているのか分からない。」 人間であれば表情があるし、親しい間柄であれば黙っていても相手が何を考えているか分かるものですが、機械の思考はそれが無く、まさに「形而上」です。

このような恐怖は、映画「ターミネーター」でも描かれ、作中でAIが人類を敵と認識し、世界のコンピュータを操作して全面核戦争を起こしましたが、先日実際に、Microsoftが開発したAIが、差別や虐殺を肯定する発言を繰り返すようになり、わずか1日で活動を停止させられました。ヘイトスピーチから学習したからでした。(ヘイトスピーチに対するフィルターは掛かってなかった)

しかしこれは、ニューラルネットワークを模して作られたのなら当然のことで、中東の子供が教育によって少年兵になったりするのと何ら変わらりません。当たり前のリスクを目の前に突き付けられただけです。荒唐無稽だと未だに嗤う人は、技術革新に対して知見や想像力を持つ必要があると思います。

核技術、遺伝子操作、エボラ出血熱などのパンデミックを起こしかねない極めて危険な病原体などと共に、適切に管理しなければなりませんが、危機管理においては政治が果たす役割は大きいです。原発事故のとき、当時の政権の対応は酷いものでした。私を含め、宗教の信者やスピリチュアル好きな人は、個人的な、内面的なことにばかり目が向きがちですが、参政権のある社会人として、「足元の社会のこと」にも関心と自分の意見を持つ必要があると思います。