宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

とあるネット掲示板で

昔のネット掲示板はプロバイダーが管理するものが多く、カテゴライズされてテーマごとにカテゴリーマスターがおり、同じ趣向を持つ人達が集まるものが主流でした。カテゴリーマスターは、プロバイダーに申請すればなれたようです。訪問者はみな、そこが公共の場であることをよく理解した上で、自由に発言していました。

昔私が契約していたプロバイダーにも掲示板があり、そのテーマの中に人の内面に関するものがあって、それをよく見ていました。

集まってくる人は今で言う「メンヘラ」の人が多く、内面的な悩みや苦しさを吐き出していて、それに臨床心理士や大学で心理学を学んだ人たちなどが善意でアドバイスするのが基本スタイルでした。それに加えて、専門家ではないけど心のことに関心を持つ人達が居て、善意の合いの手を入れていました。皆常連さんで、言うなればネット上のコミュニティーでした。

そのコミュニティーには内面的悩みや苦しみを解決する方法として、精神世界(今のスピリチュアル)の立場からアドバイスする人も居て、バシャールを激推ししていました。Aさんとしますが、かつてバシャールの考え方に救われたそうです。このAさんが一番目立っていました。

バシャールの考え方からアドバイスされて、感謝するメンヘラの人も居れば、そうでない人も居ます。バシャールは、世間の常識からは遠いところがあり、深く傷付く人もありました。Aさんはバシャール流アドバイスで傷付いたと言っている人に対しても、畳み掛けるようにバシャールを信じるように促しました。また自分のエゴを肯定し、よく自慢をする人でもあったので、こころよく思わない人からよく異論が出て、掲示板上のバトルに発展していました。

ここのカテゴリーマスターは大学で心理学を学んだ専門家で、常識的で穏やかな紳士でしたが、このAさんを認め、介入したりはしませんでした。カテゴリーマスター自身はバシャールを信じていませんでしたが、Aさんの「人を救いたい」という熱意を買っていて、バシャールで救われる人にフォーカスしており、Aさんに合わない人は別の場所、別の方法で救われたら良いと考えていたのでした。

現在はこのようなプロバイダーなどの公共的性格を持つ団体が管理し、任命されたカテゴリーマスターが主幹するネット上のパブリックコミュニティーは、もう消滅しています。適切に管理しきれないからで、今後もこのような場が出来ることはないでしょう。

今は個人のブログやサイトで、似たようなコミュニティーのようなものが出来ているところがありますが、パブリックの意識が格段に低く、また訪問者はどうしてもブログ主に媚びるようになります。そこでは絶対権力を持つ王だからです。

かつての、パブリックで自由なコミュニティーが懐かしく思い出されるとともに、時代のある一区切りでしか発生しなかったものに触れることが出来たという意味で、感慨深いものがあります。