宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

睡眠欲は罪である?

S会の記事で、人間の「睡眠欲」について、人間が生まれながらにして持つ「煩悩」であり、「煩悩=悪」であるから「人間はその罪悪を日々作り続けているのである」との説教が載っていました。

「睡眠欲」を辞書で引くと、確かに「仏教用語で五欲の一つ」との説明があります。欠乏すると身体が欲するので、食欲とともに欲には違いありません。しかし釈尊は生命維持に必要な「欲」も罪悪であると戒めたのでしょうか?仏教によくある後世の創作ではないのでしょうか?

釈尊難行苦行をやり抜いて、それらの馬鹿馬鹿しさを身をもって経験し悟りを開いています。難行苦行などやっても何にもならない、極端を避けて中道を行きなさいと生涯言い続けた人です。眠りに関しては、睡眠不足も睡眠過多もいけないという、ただそれだけです。

「睡眠欲は悪である」はS会のマインドコントロールがある程度効いてくるとそのまま信じ込むようで、真剣に悩んで、説法会でS会講師にどうしたら良いのか質問する人もいるくらいです。(S会退会者のブログより)

S会が何故こんなことを主張するかというと、会員の「罪の意識」を肥大化させるためです。睡眠欲以外にもあらゆることを取り上げて、人間は日々罪を作り続けていて地獄に堕ちるしかない存在なのだと刷り込み、そして助かりたいと思わせ、教団に従わせるのです。

どうせ悪と戒めるなら、「惰眠を貪ること」は悪であるとでも言えば良いのですが、新興宗教に勧誘される人達(=信者)は皆真面目なので、惰眠は貪らず罪の意識を肥大化させる効果がありません。何とも呆れる話ですが、実際に行われているのです。