宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

スピリチュアルとの関わり⑵

昔、ニューエイジ(いまのスピリチュアル)にハマっていた頃の話ですが、ネット上にSさんという人がいました。Sさんは会社員人生で苦しかったときにバシャールを知ってのめり込みました。感激して関連書籍を読み漁り、親類知人にバシャール本を配って回ったそうです。そのうち精神世界(いまのスピリチュアル)のホームページを開設しました。

彼のホームページには「精神世界」のいろいろな人が訪問しましたが、タイトルから、悩みを持つ人が多く訪れました。Sさんは彼ら彼女らにバシャールからのメッセージの観点から、親切にもいろいろと励ましたりアドバイスするのですが、ネット上なので異論を唱える人も当然出てきます。「精神世界」のビギナーか、バシャール以外の「精神世界」を信じている人達です。

Sさんは彼らの異論に対し対抗意識を露わにして、「バシャールがこう言っている。あなたは間違っている。」とやり込めていました。相手が「精神世界」のビギナーの場合は、すぐに黙りました。Sさんの知識量に圧倒されたのでしょう。

しかしそのうちバシャール以外を信じている相当量の知識を持つ人達が、Sさんにしつこく喰らい付いて来るようになりました。Sさんも相手も、互いに相手をこき下ろしたりするようになり、ホームページは炎上に炎上を重ねるようになりました。宗教でいうところの法論です。お互い違うものを強く信じており、折り合えないのは明白ですが、お互い相手をやり込めようと無駄な努力を延々と続けていました。

Sさんはそのうち勤めていた会社を辞めて、複数あるホームページの一つでやっていたカウンセラーのような活動を生業とするようになり、ネットで集客を始めました。ホームページの記事によると、会社員生活もうまくいってなかったようです。

Sさんの住居は、東日本のとある地方都市にあり、都会と違って人が少ないため、クライアント集めに苦労しているようでした。子供も3人いてまだ学生なのに、満足な教育を受けさせてやれるのかな、せめて子供たちが成人してからにしたらいいのにと思いました。

Sさんの一件を通して、「言葉だけの教義」は信じ込むしかないこと、また信じ込もうとする結果、それを否定されたくないために人は他者を攻撃するのだという事を目の当たりにました。また他者を攻撃しない場合でも、自分たちだけが真理を知っているという特権階級的な意識を持ち、他者を哀れむことで、心のバランスを取ろうとしている人も多く、そういう考え方もあると相手を許容する人は、精神世界のビギナーを除けばかなり少なかったです。

そうして私は「言葉だけの教義」は虚しい、やはり実体験に基づく揺るぎないものでなければと、瞑想に傾斜していったのです。

そしてその後、瞑想にも「魂のインフレーション」という重大なリスクがあることを知り、自己流や下手な指導者に付いての瞑想は危険であるし近くに信頼できる指導者が居ないとの判断から、マイ・ニューエイジブームは一旦終了したのでした。