宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

キリスト教とS会

私がキリスト教に馴染めなかった理由は、いくつかあります。

1つめは、全能の絶対者(=神)が、どうやって生じたのかを説明しない点。物理法則とかではない、意思を持つ存在なのに。

2つめは、全能の絶対者(=神)が、過去に洪水を起こして大量虐殺をやった点。

3つめは、全能の絶対者(=神)が、全能なのに悪を放置している点。

4つめは、全能の絶対者(=神)が、勝つと分かっているハルマゲドンまで、大災害が起きようと、ペストなどの大災厄が起きようと、高みの見物を決め込んでいる点。

5つめは、人間が自由意思を持ったがために神の怒りに触れて神の楽園を追われた点。(=原罪)

6つめは、やたらと生け贄という点。

これらは「すべては神のご意志なのです」で片付けられます。私は幼い頃からキリスト教を刷り込まれた訳ではないため、初めてキリスト教の教義を聞いたとき、とても奇異に感じたし、なぜこんなものを信じることが出来るのだろう?と不思議に思ったものでした。

でも考えてみると、もし神が居るとして、神の視点に立てば、

◆人間は、暇つぶしに自分に似せて作った観賞用の玩具のような存在に過ぎない。人間が蟻塚を観察するようなもの。

◆人間は、神の意に沿わず、せっかく作った地球を好き勝手に荒らす病原菌みたいなもの。

◆大洪水を起こしてノアの家族とあらゆる一つがいの動物たちを除いて皆殺しにしたのは当然。蟻や病原菌くらいの者でありながら、神の意に沿わないから。

◆まあよい、好きにするがいい。ジーザスに免じよう。余はまた新しく別の宇宙を創ったから、そちらに忙しいのだ。そのうちこちらの宇宙でハルマゲドンをやるが、従順にしてたら、その後で神の国に入れてやっても良い。神とは愛情深いのだ。

などと考えてもおかしな事ではありません。(別の宇宙のくだりはバイブルにはありませんが)神は全知全能で世界を自在に創れ操れる存在であり、全てに対し生殺与奪の権を持ち、病原体同様に人間の尊厳も価値も認めてないからです。仏教の世界観とは趣がかなり異なります。

こんなキリスト教ですが、実質的に「原罪と地獄行き」で脅し、そこからの「神の救済」を説き、「神の子ジーザスの愛」と「助かる方法」を説いて大いに広まり、世界宗教になりました。

ところで本ブログで度々出て来る浄土真宗を称するS会も、一応仏教でありながら、実はキリスト教と似たようなことを言って布教していて、一時は急成長しました。

すなわち「全ての人間は罪深く地獄に堕ちるしかない存在」と(こちらの方は意図的に)脅し、そこからの「阿弥陀仏という超越者による救済」を説き、「阿弥陀仏大慈大悲」と「S会流の助かり方」を説くのです。

なお一時は急成長したS会ですが、退会者が相次いでいて一時期に比べてかなり縮小しています。教義がお粗末で穴や矛盾だらけ、信者を大切にせず、新興宗教の常で勢力拡大に血道を上げ偽装勧誘を指導、金に汚なく教義をもって信者から絞れるだけ絞っているためです。自業自得、諸行無常です。