宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

コロナ騒動続く

湯船に浸かり、まったりしていると実家の母から電話がありました。無事に帰国したの?からだは何とも無いの?とのこと。例の新型コロナの連日の報道で、一人暮らしの子供(私)が心配になったようです。

いくつになっても子供は子供、自分のことを差し置いて子の心配をしてくれますが、今回の新型コロナで心配されるべきは、実際、老齢の母ですが・・・。でもまあ私も人の親、気持ちはよく分かります。ありがたいことです。


ところで親心とは、生き物の進化の視点で考えると、種として生き残るために生物が身に付けた特性でしょう。魚のように数千数万の卵を産みっぱなしにするのではなく、少数の子を守り育てながら繁栄する戦略です。また脳科学においての親心とは、オキシトシン等の脳内化学物質が分泌されて報酬神経系に電気信号が流れ多幸感を得られるため、その快感を求めてのものとなります。

たまに子を棄てたり育児放棄する親もいますが、個の生存のためには負担・邪魔となる存在が幼子ですから、親の脳内化学物質が人並みに分泌されない・前頭葉の働きが弱い(=世間体や社会規範の制約が効きにくい)等があったら、そりゃそうなります。身も蓋も無い話ですが、人間とはそういうもの。真実でしょう。


また今回の新型コロナ騒動、トイレットペーパーが買えなくなるというデマが出て品薄になっているという報道もあります。「欠乏パニック」になる人は少なくないですが、無いなら無いで、代替えを見繕えば良いだけの話ではないでしょうか。

昔しばらくタイに居た時、トイレでは水洗い後に水気を紙で拭きとり、脇にあるゴミ箱に入れる文化の中で生活していたので、私としては無いなら無いでタイの真似をすれば良いだけです。

足りないマスクも、使用済みのものに低温のアイロンをかけるなりスチーマーの蒸気を当てるなどすれば再生できるのでは?店にモノが無くなるからと行列に並ぶのは、時間がもったいないと思います。

欠乏パニックになっている人に、相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」などと説いてもあまり意味がなく、それよりも合理的に考えることが大切だと啓蒙することの方が余程大事なのではないかと思いました。実体が無いものに踊らされるのはつまらないことです。