宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

シャットダウンの仕方

私は我が子と海で泳いでいました。子供は浮き輪につかまって泳ぎながら、最近あったことを楽しそうに話しました。私はとても幸せな気持ちになりましたが、ここで僅かに覚醒しました。

僅かに覚醒はしましたが、しばらくそのままで居ました。他の人は知りませんが、私の場合は完全な覚醒までには何段階かあって、一つは夢の中断中。真っ暗だし音は全く聞こえません。夢を見ているのだから、レム睡眠中であって脳はオン、身体はオフだからでしょうか。夢を見ていたのだなという認識はぼんやりと有り、もう少しこのままで居ようとか起きようという意思を入れたり、簡単な思考はできますが、複雑な思考はできません。そのまま寝ると、同じような夢をまた見ることがあります。

僅かな覚醒の次は、音が聞こえてくる段階。それまで完全無音の世界だったものが、急に音が入って来ます。ああ、起きてしまったなとぼんやりと認識します。急に現実感が湧いてくる段階です。

そのすぐ後くらいに、視覚情報が入って来ます。カーテンを閉めていても薄明るい光はあるので、それを知覚します。夢の内容はまだほとんど覚えています。夢の内容を忘れるのは、この後で頭の位置を動かしたとき。頭の位置さえ動かさなければ、夢の内容は消えることはありません。


臨死体験の研究によると、臨終のときは大雑把に言うとこれの逆のようです。基本的には人間がシャットダウンする過程なので、人間としての機能が段々とオフになっていきます。感覚器官で最後まで残るのは聴覚だそうです。微小血流でも酸素消費が少ないと脳は機能し続ける場合があるので、実は通夜の時、棺桶の前で話したことが故人には聞こえているのかもしれません。枕経というのも、理に適っているのだろうと思います。

また死の間際になると脳内でβエンドルフィンという脳内物質が大量放出され、苦痛なく死んでいけるとのことで、人が死を恐れる2大理由(死ぬプロセスが怖い、死後どうなるのか怖い)のうちの1つは特に心配いらないようです。

この死の間際の苦痛を取り除くシステム、進化の上では何の意味も無いように思えます。生存に役立つものではないからです。この点からも、唯脳論やサイエンスだけで生命を論じてはいけないのだろうと思います。