宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

人類の気づきのため?

年度内必達の1年越しの案件が片付き、ようやく人心地つきました。今月後半の最後の追い込みでは、無理をしていると日に日に疲労が蓄積していき回復せず、体力の衰えを実感します。いつまでも若いわけではなく、死に対して少しずつ着実に近づいてきているようです。

巷では志村けんさんも亡くなるなど新型コロナが猛威を振るっていますが、飲食や旅行業界などはまさに倒産の危機にあるし、医療を含む「接客業態」では、厳重に感染防御していても感染してクラスター化してしまった例が数多くあり、問題の根深さを感じます。パニックになってもプラスになることは何もないので、粛々となすべきことを実行するのみだろうと思います。


この厄介なウイルス、一部のスピリチュアル系の人は「人類の気づきのために現れたのだ」などと言います。ウイルス自体に意思があるのではなく、「高次元の存在」が遣わしたと考える人も居て、魂の波動が高い自分は助かると信じています。

根拠などありません。スピリチュアル界で有名な人が言っているからと信じているのみです。この点、宗教の萌芽を見ているようです。「不安の補完」、「体系化」、「信じ込み」が宗教の基本だからです。

そういえば20世紀末頃に、ヘールボップ彗星に隠れている宇宙船に自分の魂を載せてもらおうと39人が集団自殺した「ヘブンズゲート事件」がありましたが、自殺した人たちは自らが宇宙船や宇宙人を知覚できたわけでもなく、指導者の言うことを真に受けて信じ込んだだけです。

人が言うことを信じ切ることが必要な浄土真宗もヘブンズゲートと似たようなところがあり、昔から多くの「異安心」の指導者を出してきました。現代でもS会があります。宗教的な人ほど、健全な懐疑心と合理精神が必要だと思います。