宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

煩悩のカタマリ

キリスト教で再臨派というのがあります。19世紀米国発祥で、ジーザスの再臨を待ち望む運動が起源であり、土曜日を安息日として礼拝をし労務をさせないなどの独特な決まりがあったり、一時は唯一の真の教会を称していましたが、今ではそれを引っ込めプロテスタントとの融和を表明したりしてます。信者は米国を中心に約2000万人います。私は英語を習うのにある教会で1年ほど関わりましたが牧師や信者はみな善良な人たちで、新宗教ながらまともなところでした。

ただこの再臨派、ジーザスの再臨(=世界の終わり。審判があり、天国行きか地獄行きかが決まる)が間近であるとする教義ゆえか、通常のクリスチャンよりも敬虔であるようでしたが、間近の再臨を真面目に信じる子羊である自分たちだけが救われると思っている節があり、いわゆる選民意識となって見え隠れすることがありました。

この選民意識、いわゆる普通の新宗教はえげつないものがあります。どこも「我々の教えだけが真理。我々の教えを信じたら助かる。選ばれた者となる。」となどと言います。また獲得した信者を手放さないために「世間の人は邪教を信じて地獄に堕ちて可哀想に。」などと言います。宗教には選民思想はマストではありませんが、布教にはとても都合が良いものです。

スピリチュアルにも選民意識があります。アセンション(次元上昇)と言って、現在の三次元世界(時間を含めると四次元時空)から、より高次元にこの世界が間も無くシフトすると信じる人たちに顕著です。スピリチュアルは宗教と違って統括者や指導者がいません。アセンションは確か、チャネリング系の人たちが言い出したものが勢いを得たのだったと思います。

そのアセンションですが、2000年前後くらいから数年後には起きるとされ、関連書籍が多数出版され、2012年のマヤ暦の変わり目と結び付けて語られたりもしました。

アセンションが起ると波動の低い不適合者は地球から蒸発してしまうとか、逆に適合者が高次元に行くので私たちの前から消えるとか云われていて、ビリーバー(自分の内なる声に耳を傾けることを放棄して、スピリチュアル情報を何でも鵜呑みにして信じてしまう人たち)は浮かれてました。

自分たちが信じることが大宇宙の真理であり、自分たちだけが素晴らしい世界へ行けるとワクワクしていていました。世間の人たちは波動が低いので、素晴らしい世界へは行けません。スピリチュアルのほとんど全てが、大乗仏教で言うところの小乗的なのです。その後10年以上経っていますが、数年後のはずのアセンションは起きていません。

ビリーバーの人たちは、予言が外れたので狂騒から醒めたのかというとそうではなく、アセンションの時期は間近としながらも、次々に出てくる「○年後」を信じていたり、単に間近と信じていたりといろいろですが、その信念はより強固になっている人が多いです。予言が外れた後で信仰が深まるのは、先のキリスト教再臨派もそうだし、国内外の新興宗教ではよくあるパターンです。人間、信じたいものを信じる生き物だからです。

人間、うまくいっている時は神仏など不要で己の力だけで生きていると思うものですが、うまくいかなくなると神仏にすがったり、逆に恨んだりします。死後に救われたいという切迫感が強ければ強いほど、救われたいために一見謙虚で信心深くなりますが、自分が謙虚で信心深いと思うようになったらなったで今度は選民意識も持つようになるものでもあります。また明らかに問題があるカルト宗教を信じてしまい、家族や社会に迷惑を掛けたりする人も多く居ます。人間とはまことに身勝手で煩悩のカタマリであり、また煩悩に振り回されていることに気付けない生き物だなと、私自身を振り返りつつ思いました。