宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

18願成就とDVD

法蔵菩薩の48誓願のうちの王本願といわれる第18願は、「わたしが仏になるとき、全衆生が心からこの本願を信じて極楽浄土に生まれたいと願い、わずか10回でも念仏して、もし極楽往生出来ないようなら、わたしは決してさとりを開かない。但し五逆や誹謗正法の者は除く」というものです。

法蔵菩薩阿弥陀仏となっているので、この願は成就されているのですが、現実には全衆生極楽往生できておらず、私(ゆげ)を含めて多くの人が迷いの中に居ます。過去にも全衆生極楽往生した時期はないでしょう。TVもネットも無い遠い昔、法蔵菩薩を知らない人がほとんどだった筈です。当たり前に考えると18願は成就しておらず、従って法蔵菩薩はいまだ修行中ということになります。

この問題、真宗の僧侶の方でも、解釈は色々あるようです。この問題に正面から向き合って説明しているお寺や機関も、寡聞にして知りません。どこか煙に巻いた説明になっています。

実はこの問題、ニューエイジの一つとは、非常に親和性があります。その一つとは、デビッド・ボームの提唱するホログラフィック宇宙です。

このホログラフィック宇宙観では、あらゆる時間・空間が畳み込まれて一体となったホログラフィー板のようなものが、宇宙の本体です。私たちがいま経験している現実世界は、そのホログラフィー(投影)に過ぎないというのです。

この宇宙観、近年この世界の成り立ちについて現代物理学で盛んに議論されている余剰次元とも親和性が高く、量子力学や相対論をある程度理解でき、受け入れることが出来る人はにとってはとても腑に落ちるものだと思います。般若心経で言うと、色即是空 空即是色です。

以後、ここではより身近な映画のDVDに置き換えます。

DVDは一見すると七色に光るただの銀色の円盤ですが、映画の内容が収められています。始まりがあり、ストーリーが進行し、エンディングがあります。それが一枚の円盤に収められており、再生装置があれば任意のシーンを映し出すことができます。

宇宙DVDの場合、ビッグバンから始まり、私たちの一生もその膨大なストーリーの一コマですが、エンディングは決まっていません。(運命論や決定論にはなりません) 宇宙そのものが持つゆらぎや私たちの意思や行動によって七色に、いや無限に変化します。

18願成就に戻りますが、当たり前に考えると成立しないものが、この宇宙観であれば成立し得ます。法蔵菩薩が瞑想により、時間と空間が畳み込まれて一体となった宇宙を観照したときに、自身の願により時間軸のどこかで全衆生極楽往生していれば良いのです。

浄土教を作った紀元前後までの仏教者たちは、もちろんいわゆる聖道門の人たちです。釈尊は入滅に際して自燈明法燈明を言い残しましたが、これはパーリ語原典にあるように四念処に励みなさいということです。釈尊亡き後の仏教者たちはその教えに従い、深く深く瞑想し、やがて時間と空間が畳み込まれた宇宙意識に到達したのかもしれません。

そこで、無限の慈悲をもつ存在を見つけ、阿弥陀仏と名付け、法蔵菩薩のストーリーとともに方便を交えつつ経典を作り上げたと考えると、とてもスッキリします。

枝葉末節はどうでも良いのです。方便結構、原理主義は虚しいです。阿弥陀仏、あるいは阿弥陀仏と呼ばれる無限の慈悲を私たちに送り続ける存在が、有り難いと思います。