宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

入場制限と人数制限

前回、一神教において、

・神は世界を無数に創っており地球はその1つに過ぎない。制約を一切受けずに何でも出来る神なのだから、1つだけしか創らないと考える方がおかしい。

・神は地球や人類からもう興味を失っていて、ここ2000年ほど放置状態にある。神には被造物を常に見守る義務も無いし、放置する自由がある。

という可能性について書きました。


一方大乗仏教では、「仏国土」が多数存在すると経典に明確に書いてあります。悟りを開いて輪廻の輪から脱出した「仏」がそれぞれ管轄する世界です。仏国土は浄土とも呼ばれ、薬師如来の東方浄瑠璃浄土阿弥陀仏西方極楽浄土が有名です。

 

極楽浄土は十万億土の彼方にあるとされますが、それは仏国土を十万億(=非常に数が多い)も通過したその先にあるという意味です。人が死んでから行くところなので、肉体を持たない世界のようにも思えますが、「仏説阿弥陀経」では釈尊が弟子の舎利子(=シャーリプトラ)に対し、

 

「(前略)シャーリプトラよ。かの仏の国土には常に天上の音楽が流れており、大地は黄金で一日に六回、曼陀羅華の花が空から降りそそぐ。その国の人々は、毎朝早く花籠にたくさんの美しい花を盛って十万億の仏の世界に赴き、仏を供養し、朝食の時間には極楽に戻って食事をとり、それからゆっくりと歩いて身心を調える。(後略)」

 

と語っていることから、極楽浄土は、朝食を食べたり音楽を聴いたりできるという意味で、輪廻の輪の外なれど地球と変わらない世界です。1仏国土に対し1仏だし、仏=慈悲なので、それぞれの仏はそれぞれの浄土の人々をちゃんと見守っていてくれることでしょう。

 


では、輪廻の輪の中にある地球はどうなのでしょうか?

 

 

大乗経典では仏に加えて菩薩が人々を見守っているとされます。例えば浄土経典においては、阿弥陀仏は管轄外である地球の人々に「この苦の輪廻の輪から必ず救い出すから、わたしを信じて南無阿弥陀仏(=阿弥陀仏に全てをお任せします)と唱えてほしい」と呼びかけ続けると同時に、信じ切った人を見逃さず全て救っていますが、これは地球の全ての人々を見守っているということです。還相の菩薩も居ます。極楽浄土には入場制限はあっても人数制限はありません。


一方キリスト教の場合は、ハルマゲドンの後で神の国に行けるのは14万4千人だけです。それも、今までに生きていた人を含めてです。米国の population reference bureau が推計した、人類の誕生から2011年までの人口総計;1,080 億人の数字を用いた場合、

144,000/108,000,000,000=1.33×10^(-6)=0.000133%

の中に選ばれなければならず、かなりの狭き門となります。入場制限と人数制限があります。