宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

無事退院

友人宅の猫が退院しました。性格が大人しく、喧嘩しているところは見たことが無いとのことですが、不運にも交通事故に遭って入院していたのです。

 

一時はまともに歩行できなくなるらしいと聞いてましたが、今では元通り元気に動き回っているとのこと。先代の猫同様に元気で長生きしてほしいものです。


猫と言えば以前に駅前で大学生風の若者数人が、犬猫の殺処分反対・シェルターのための募金をお願いしますと呼びかけていました。ウラに指示役が居るような詐欺ではなさそうです。人間の都合で多数の命が奪われる、憐れであると切々と感情に訴えかけていましたが、足を止める人は全くいませんでした。

 

大学生風の若い彼らの活動が、ただの中二病的な自己満足に見えて、こっちは毎日大変な思いをして働き生活しているのに犬猫を助けるから金を出せってか?大学生ってのはいい身分だな!と怒りを覚えた人もいたかもしれません。今は大学生も大変な時代なのですが。

 


犬猫の殺処分数は、昔と比べると遥かに減ってきています。

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           犬猫の引き取り数と殺処分率の推移


上記、確かに遥かに減ってきてはいるものの、そろそろ下げ止まり感があります。殺処分が無くならない理由は、


①大きくなって売れ残った犬猫が、ペットショップから殺処分場に送られるから。
②安易に飼い始めたが、途中で飽きて棄てるから。
③安易に飼い始めたわけでもないが、引っ越しなどで飼えなくなって棄てるから。
④雌で不妊手術を受けさせてないのに屋外に出して出産、その子たちを飼えずに棄てるから。


といったところでしょう。①はかなりの数にのぼるようです。

 


今後犬猫の殺処分をさらに減らすには、どうすれば良いのでしょうか?社会として本気で犬猫の殺処分を減らそうとする場合は、殺されてしまう状況を作らないようにするための思い切った法規制と税制改正をするしかないと思います。


犬猫を棄てた者は、懲役刑(初犯は執行猶予、未成年の場合は親が過料)。購入に際しては車の重量税のように税金(=ペット税)を課します。軽い気持ちでは犬猫を買えなくなります。(減免措置あり)

 

ペット業者に対しても、犬猫を殺処分場へ送ることをさせません。安易に購入したり繁殖させて、売れ残ったら殺処分すれば良いというビジネスモデルを止めさせ、売れ残った場合は生涯面倒をみることを前提に価格設定をしてもらいます。隠れて棄てたり毒殺したり等は執行猶予無しの実刑にする等厳罰化し、監視の目も厳しくします。

 

また犬猫を購入する際は、自動車の車庫証明のように、飼える環境であることを証明しなければならない仕組みとします。

 

飼育できるのは持ち家の人のみで、賃貸の人には証明書を原則発行しない。引っ越しが犬猫を棄てる原因の一つだからです。発行してもらうならば飼えなくなったときの引き取り手を選定して、引き取り手に自筆の誓約書を提出してもらう。

 

老人ホームや法人などの団体が犬猫を飼う場合、管理責任者を選定してオンラインで良いので毎年状況報告をしてもらう。個人宅へは抜き打ちで訪問し、犬や猫を出してもらう。(棄ててないことの証明をしてもらう)

 

 


ここまですれば、心から犬猫を飼う意思があって飼育環境がある人のみが飼うことになって、殺処分は大幅に減ると思います。殺処分場は統廃合し掛かる費用を減らし、公的機関で増える事務費用と相殺、アシが出るようなら新設したペット税を充てます。

 


しかしこうなると、賃貸住まいの人が犬猫を飼えないのは人権侵害だ憲法違反だ、価格が高騰して取り扱いの絶対数が減るからペット業界は死活問題だ等と騒ぐしょうもない弁護士や”コメンテーター”などが出てくるでしょう。

 

飼いたくても飼えない人たちには、我慢してもらう。我慢できないのであれば、上に書いたように飼えなくなったときの引き取り手を見つけるか、保護猫カフェ・保護犬カフェに行ってもらう等すれば良いのです。

 

 

 

犬猫にここまでするか?生類憐みの令か?とも言われそうですが、どんな場合にも成立する解など人間社会には無いし、愛玩のために気まぐれに飼い始めて、飽きたら棄てるのが当然なほど人間様が偉いのだとも、私は思いません。