宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

リテラシー

DHMO(ジ・ヒドロゲン・モノ・オキシド)という化学物質があります。これは無味無臭・無色透明な物質であり、毎年多くの人の皮膚を破壊し死に追いやります。体内に入ったDHMOが多すぎると、むくみ・嘔吐・痙攣などを引き起こし、酷い場合は死に至ります。また体内に入ったDHMOは、肺を機能不全に追い込み、毎年多くの人が命を落とします。なおジャンクフードにも含まれています。

こんな危険なDHMOですが、日本を含む各国は個人での保有を認めて野放しにしているばかりか、世界をみると地域によってはこの物質を求めて凄惨な争いがしばしば発生しています。

なぜこんなバカなことが・・・?

 

 

 

・・・実はこれ、Dihydrogen Monoxide ; di=2、hydrogen=水素、mono=1、oxide=酸素、つまり何のことはない「H20=ただの水」をDHMO(一酸化二水素)と表現し、おどろおどろしい説明をしているだけです。

※熱湯や蒸気で、毎年多くの人が重度の火傷を負い、皮膚呼吸が出来なくなって亡くなっています。
※ジャンクフードを含むほぼ全ての食品は、水分を含みます。
※水分を摂りすぎると体がむくみますが、度を越えると吐き気がしたり嘔吐するようになり、酷い場合は低ナトリウム血症で死亡します。特に夏場汗をかいたとき、塩分を含むスポーツドリンクを飲むようにと熱中症と共に注意喚起される所以です。
※肺が機能不全に陥るというのは、肺水腫のことです。

 

このDHMO、1997年に米国の中学生が、冒頭のとは違いますが同様にネガティブな説明文を使って「人はいかに騙され易いか」を研究し、アイダホ州の科学博に発表したところ一等となったことで注目を浴びました。クラスメート50人にネガティブな説明文を読ませてDHMO規制に賛成するかどうかアンケートを取ったところ、43人が規制に賛成、6人が態度保留、1人だけDHMOがただの水だと気が付いたそうです。

アンケートは米国の中学生に対して行われましたが、日本の大人に対して行っても、結果は大して変わらないのではないでしょうか。科学に対する「リテラシー」が、似たようなものだからです。ちなみに、ある自然派の人のブログで、化学式で表すことが出来る食品は、大変危険だから食べてはいけない!と本気で警告していました。ミョウバン(Al NH4(SO4)2)や中華麺に使われる「かん水」(Na2 CO3・K2 CO3混合物)などは百歩譲るとしても、塩(塩化ナトリウム=NaCl)も摂らないつもりなんでしょうか。


この「リテラシー」というワード、その分野で習得すべき知識を身に着け、分析・判断したり、活用・応用できる総合能力のことを指します。ITリテラシー情報リテラシー、メティアリテラシーなど、今やいろいろな場面で耳にするようになったし、(〇〇に対する)リテラシーなどと単体でも使われるようになっています。

絶海の孤島で人との関わりを断って生活するなら別でしょうが、人が社会生活を送るうえで「リテラシー」は大変重要です。台風が来たら、浸水の恐れがあるエリアに住んでいるならば早めに避難する必要があるし、何かの公的補助を受けるにあたっても、役所は窓口に来た人しか相手にしないので、情報を集めて自分で動かねばなりません。これらも立派な「情報リテラシー」です。

 

メディアリテラシー」については、ここのところ社会全体として随分と進歩してきたなと思います。ニュースバラエティも増えて、いろんな意見を同時に提起するようになったし、ネット記事の読者批評もマトモなものが多くなりました。また対案も出さずに反対ばかり、政争に終始する政党は国民の相手にされなくなってきています。

 

では、スピリチュアルを含む「宗教リテラシー」については?

 

日本においてここ数十年、宗教を取り巻く環境が大きく変化したとは私は思いません。オウム事件があったことを踏まえてもです。日本人の多くが相変わらず「葬式は仏式・新年は神様・クリスマスも祝うが新興宗教は毛嫌いする」です。一方、おかしな精神世界・スピリチュアルにハマる人、おかしな教祖を崇拝する人、霊感商法の餌食になる人なども、繰り返し繰り返し出て来ています。人間にはDNAレベルでそのような宗教的素養を持っているということでもあるでしょう。

 

何を信じ、どのように生きるのかはその人次第で自由とはいえ、助かる命なのに宗教上の理由だと輸血を拒否して亡くなってしまったり、ヘブンズゲートみたいに集団自殺したり、無間地獄に堕ちたくないからと全財産を教団に寄付して困窮のうちに亡くなってしまうことを、社会として、今のまま放置していても良いのでしょうか?

 

良いわけありません。対応策として学校教育で、幼少の頃から大人になるまで比較宗教を教えればどうでしょうか。スピリチュアルも含めてで、隔週程度でも良いと思います。また親が子に、自分の信じる宗教を強要することも法で禁じ、児童虐待同等として罰則も設けます。カルト2世の本を出版した「いしいさやさん」のような人を作らせないのです。

成人するまでの期間は、自分に合う宗教・スピリチュアルをじっくり選ぶ期間です。何も選ばず無宗教でも、自分だけの自分教でも、決めきれなくても、もちろん全然構いません。「信じる」のは、考えて考えて、考え抜いてからで良いのです。宗教の危険性や有難さ、また他人の宗教心は尊重しつつも自身は無信心でも全く構わないことが理解できるようになり、自分と向き合うことで、多くの人は心豊かな人生になるのではないでしょうか。そのうえで、輸血拒否するならすれば良いと思うのです。