宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

前回の補足

前回、宗教リテラシーについて書きました。学校教育で比較宗教の時間を作り、成人するまでの間にじっくりと宗教について考えさせれば良いのだと。

 

確かにそれは良いことだとは思いますが、イスラム圏でそのような運動をするときは死を覚悟しなければなりません。唯一神のために頻繁に自爆テロが起こる地域、原理主義者が黙ってはおらず、前触れもなく殺しに来ます。(そして死ぬでしょう) 宗教を選ぶとは被造物である人間が神を品定めすることであり、思い上がりも甚だしく、神を冒涜すること以外の何物でもないからです。

 

同じく唯一神キリスト教圏にも過激な原理主義者が掃いて捨てるほど居ますから、イスラム圏と似たようなものでしょうが、西欧であればまず殺害予告が来ると思います。

 

では中国では?

 

共産党が自らを脅かすと判断すれば、即座に抑え込みに来ます。従わねば消されるでしょう。共産党に従わずに行方不明になった人はゴマンと居ます。基本的に「中国共産党教」なので、うまくはいかないでしょう。

 

韓国は土着の宗教と習合した似非キリスト教が国内で最大の勢力を持っているのと、独特の「正義」でものを考える人たちなので、こちらの方もうまくいかないと思います。

 

それでは日本は?というと、元来が八百万の神様の国です。神を選んで何が悪いのでしょうか?渡来した仏教にしても、諸宗派ありますが、積極的に他宗派を排撃しようとするのは一部の新興宗教だけだし、せいぜい荒事止まりでしょう。

 

幼いころからの比較宗教教育法制化運動に対し、最初に表立って反対するのは当事者の宗教団体連合会でしょう。檀家や信者からの入金が減っていく恐れがあって死活問題になる可能性があるからです。檀家や信者が増えて入金が増える可能性も、減るのと同じようにあるのですが、人間は減る方に対して過敏に反応する生き物です。(科学実験により明らかになっています)宗教団体側も、このままではジリ貧なのはわかっているけど、急激な変化も怖いといったところでしょうか。

 

また学者先生もいち早く反対声明を出すと思います。国家が宗教教育に関わるとは何事か、政教分離に違反する、憲法違反である、教える内容は誰がどう決めるのか、宗教の教科書の内容を国家が検定するのか、特定の宗教に誘導するのではないか、また国家神道みたいなものを作るのか、等々。

 

PTA連合会も、幼いうちから宗教教育?と拒絶反応を示すと思いますし、マスコミも騒ぐでしょう。しかし特定の宗教に偏らず、その宗教がどんなものを前提として自己完結し、どういう特徴を持つのか等々、淡々と紹介するのであれば、それも悪くないなと世間に認知されるようになる可能性はあると思います。そのとき時の政権が動けば、法制化が成立する目が出てくる思います。

 

ただ、学者先生が危惧することが現実に起こる可能性はあります。そこは気を付けなければなりません。