宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

競馬好きの男

競馬好きの男が亡くなりました。生前、暇さえあれば競馬場に行っていました。そのうち消費者金融で借金をするようになり、しまいに持ち家を抵当に入れて金を借り大勝負をしましたが、負けてしまいました。

家は差し押さえられ、男と妻子は路頭に迷いました。男は仕事をとっくにやめており、雪だるま式に膨れ上がった借金だけが残っています。そんな時でした。男が胸を押さえて苦しみ出し、動かなくなったのは。男はこの世から離れました。短くもないが、長くもない生涯でした。


気が付くと、男は人の列に並んでいました。列の先頭には赤ら顔でヒゲを生やした巨大な中年男が座っており、机の上にはうずたかく書類が積まれています。両脇には青い顔で角を生やした男たちが控えています。赤ら顔でヒゲを生やした巨大な中年男は、列の先頭の人に何やら申し渡しています。ここで男は気が付きました。自分は死んで、もうじき閻魔大王の裁きを受けるのだと。


男の番になりました。閻魔大王は男に対しこう言います。

「そのほう、賭け事に狂い、妻をないがしろにし、家族を塗炭の苦しみに追いやった罪は重いぞ。」

男はうなだれるしかありませんでした。

 

しかし閻魔大王は続けて、

「しかし子を深く慈しんだことは紛れもない事実。本来ならば地獄行きとするところだが、それを免れる機会を与えよう。」

と申し渡しました。

 

男は伏せていた土気色の顔を上げ、

「どのようにすればよろしいのですか?」

閻魔大王に問いかけます。

 

閻魔大王はそれに答え、

「ここに正20面体のサイコロと、20枚のカードがある。正20面体のサイコロには、1から20までの番号が書いてあり、20枚のカードには1から20までの数字が書いてある。

正20面体のサイコロを30回振って1回以上「20」の目を出すか、20枚のカードを19枚引いて「20」の数字を引き当てるか、どちらか選ぶが良い。「20」を出したら地獄行きは勘弁してやろう。よく考えて答えよ。」

と言いました。

 

男は少し考え、

「正20面体のサイコロを30回振る方にします!」

と言いました。なぜか?

 

それは「サイコロで狙いの目が出る確率は20分の1だ。20回振れば、1回くらいは「20」が出るだろう。それにプラスして10回も振れる。これは正20面体のサイコロ一択だ。」と思ったからです。そしてサイコロを振り始めました。


しかし無情にも振れども振れども悉く「20」は出ず、男は地獄行きとなってしまいました。もちろん、サイコロやカードに細工をするような閻魔大王ではありません。

 


男は、どうすれば良かったのでしょうか?


正20面体のサイコロを30回振ったとき、悉く狙いの目を外す確率を計算してみます。1回目のサイコロ振りで、狙いの目が出る確率は、1/20なので、外れる確率は19/20です。2回目も同じで、外れる確率は19/20、3回目も4回目も、30回目も全て19/20です。

 

よって、全て狙いの目を外す確率は、(19/20)の30乗 = 約21.5%

となり、21.5%の確率で地獄行きになってしまいます。

 

理解しにくい場合は、コイントス(コインを空中に放り投げて手の甲で受けると同時に反対の手でコインを隠して、表か裏かを当てさせること)を考えると良いでしょう。2回コイントスして1回以上、表が出る可能性を考えるとき、出る目は

パターンA 表・表
パターンB 表・裏
パターンC 裏・表
パターンD 裏・裏

しかないので、このうちのパターンA~Cが該当します。75%です。別の言い方をすれば、25%は裏しか出ず、外れます。裏しか出ない確率は、裏の出る確率(=1/2)を、振る回数(=2回)掛ければ出ます。(1/2)の2乗です。

 


話を元に戻します。男が選ばなかった、1から20の数字が書いてある20枚のカードを19枚引いて、「20」を引き当てる確率は?


当然ですが、残った1枚のカードが20でない確率と同義であるので、19/20=95%となります。

 

よって地獄行きの確率は、残りの5%となります。男は地獄行きの確率が4倍以上も高い賭けを選んでしまい、そして敗れ、地獄に堕ちて行きました。

 


男が賭けに負けて地獄行きとなったのは何故か?

 


男の生来の運の弱さも有るのですが、拙かったのは「直観に従ったから」。4倍以上も地獄行きの確率の高い方を、直観で選んでしまったのです。

 


人間の直観は得てしてこの世の理を無視します。直観はとても大切ですが、だからといって絶対視するのも考えものです。直観を絶対視した人のなれの果ての一群が、精神世界やスピリチュアルの世界で「ビリーバー」と呼ばれる人たちと言えるのだろうと思います。