宗教や心のこと

宗教や心について、考えたこと

死後どうなる?⑵

宗教では死後の世界はこうであるぞよと、まるで見てきたように断言します。仏教では六道輪廻、キリスト教ではハルマゲドンまで一旦死者の世界へ留め置かれ、その先は天国か地獄・煉獄です。なぜこんな教義が出来上がったのでしょうか。

まず仏教について考えてみました。原始仏教で死後について沈黙していた仏教ですが、大乗仏教になると業と六道輪廻を語るようになります。それはインドでは古来からそれらが固く信じられてきたため、仏教の劣勢を挽回するため遅ればせながら取り込んだからと考えるのが一番自然です。宗教は人々の拠り所となるべく、世の中を説明できなくてはなりません。

では古代インドでなぜ業と六道輪廻が信じられることになったのか考えてみます。

一つには、人が本能的に持つ、自己の消滅または未知なる死後に対する恐怖。死後も何らかの形で自己が存続すると信じれば、この恐怖からは逃れられます。

二つ目は、良い行いをした者は良い結果を受け取り、悪い行いをした者は悪い結果を受け取るべきであるとする、一種の正義。善行が報われず早逝したり、悪人がのさばり大往生したのでは、多くの人は不条理でやりきれません。

三つ目が、臨死体験者が「あの世」へ行ったがこうだったと、それぞれ違うことを語ること。それが次第に整理集約され6つになり、六道輪廻に落ち着いたと考えるのが、一番自然だと思います。

キリスト教では、人は輪廻を繰り返すことはありません。成立過程で、一部聖典で輪廻を認めていたものを、整理・体系化をしていくうちに、削除してしまっています。神が最後の審判をするのであれば、仏教で挙げた一〜三は合致しません。